今日のやることは中瀬の年配者を訪問することです。中瀬の人はほとんどもともと南三陸町から移った人です。
 途中で南三陸町を通りました。この町はなくなったっていう感じです。どこを見ても壊れた建物、チームリーダ太郎は防災センターの女性英雄のことを教えてくれました。自分で亡くなるまで、「津波、逃げてください、逃げてください」ってみんなに伝えていました。私は感動されて、自分いつも持っているおもちゃを防災センターに置いていました。
中瀬にボランティアの「茶室」があります。地元年配者を招待できます。
 ついたばかりに、太郎は紹介してもらって現地の年配者と声をかけた。みんなはこの外国からきたボランティアに興味があるようです。「日本はどうですか」、「日本寒いですか」などなど
 10時ごろ、二人のお婆さんは茶室にきてもらった。コーヒーを飲みながら話しました。私は日本史が好きで、日本の歴史人物や物語少し知っていますから、ちょうどいいのはポコっていうお婆さんも好きです。ここは江戸時代の伊達家仙台藩、鎌倉時代の平泉ですから、話題になりました。「源義経がここで死ななかった、モンゴルに亡命したそうですよ」って、話すうちに、笑ってくれました。ポコさんの名前は昔自分のペット(犬)の名前と同じです。その犬が大好きだって。でもなくなりました。
 昼ご飯の時に、販売車が来た。面白い音楽が流れているとともに、食べ物を販売していた。僕は初めてこのような車を見たかたかも、つい刺身を買いました。
きょうこっていうお婆さんは、ご飯、焼き魚、手つくりお菓子を持ってきて、今度の昼ご飯は贅沢だった。きょうこさんはすごく優しくて、「よくお茶を飲む、今日どうぞどうぞ」って。午後、私は佐藤さんの家に訪ねました。佐藤さんは地震で電車のコースがこわれて、4才の孫はあまり会えなくなった。口ぶりからでも分かる、佐藤さんは孫のことを思っている。壁には孫二歳の写真が貼ってあります。残った写真はそれしかないそうです。佐藤さんは若い時の話を話してくれた。当時の日本の女性は毎日着物を着て遊んだりしてた、今の人は一人で着れる人も少ないって。地震の前はよく舞いをしていました。
 最後は、佐藤さんはボランティア毎日来てくれてよかった。笑ってくれた。
 これを聞くと自分の仕事の意味を急にわかるような気がします。
 そうだな~、たぶん町を再建するのは重要ですけど、人の心の再建はたぶんもっと重要かもしれません。